
ナラティブ・アイデンティティとは、人が自分の人生経験を物語として意味づけることによって形成される自己理解のことを指します。ナラティブ・アイデンティティは、心理学者ダン・P・マクアダムズ(Dan P. McAdams)によって体系化された理論で、キャリア理論の中でも注目されてきた理論のひとつです。
マクアダムズは、その研究の中で、人格を三つの水準で捉えました。それは、特性(traits)、適応的関心(personal concerns)、そしてナラティブ・アイデンティティ(life story)です。ナラティブ・アイデンティティはこの中でも最も高次の人格の水準であり、人が自分の人生をどのような物語として理解しているかというレベルの自己理解を指します。
特性は「外向的である」「慎重である」といった比較的安定した性格特性であり、適応的関心は「どのような仕事をしたいか」「どのような役割を果たしたいか」といった目標や価値観、動機づけのレベルです。
これに対して、ナラティブ・アイデンティティは、
「自分はどのような人生を生きてきた人間なのか」
「なぜ今ここにいるのか」
「これからどのような人生を生きていこうとしているのか」
という、時間的連続性を持った自己理解です。
この考え方では、人は出来事をそのまま記憶しているのではなく、出来事に意味を与え、それらをつなげて一つの物語として理解します。例えば、同じ失敗の経験であっても、ある人は「あの経験によって自分は自信を失った」と語り、別の人は「あの経験があったから今の自分がある」と語ります。出来事そのものではなく、その出来事をどのような物語として理解しているかによって、自己理解は大きく異なります。
アイデンティティとの関連
ナラティブ・アイデンティティの考え方は、エリクソンのアイデンティティ概念とも深く関係しています。エリクソンは、青年期にアイデンティティが形成されると述べましたが、マクアダムズは、成人期以降も人は自分の人生を物語として再解釈し続ける存在であると考えました。
つまり、アイデンティティは一度形成されて終わるものではなく、生涯にわたって再構成され続けるものと考えられています。
また、ナラティブ研究では、人生の物語には一定のパターンが見られることが指摘されています。マクアダムズは、人生の物語の中で、人が困難や挫折を経験し、それを乗り越えて成長するという意味づけを行う物語を「レデンプション・ストーリー(redemption story)」と呼びました。
これは「悪い出来事が良い結果につながった」という物語です。反対に、良い出来事が悪い結果につながるという物語は「コンタミネーション・ストーリー(contamination story)」と呼ばれます。どのような物語として人生を理解しているかによって、自己理解や将来への見通しは大きく異なります。
キャリア構成理論との関連
キャリア研究においては、マーク・サビカス(Mark Savickas)のキャリア構成理論(Career Construction Theory)がナラティブの考え方を取り入れています。サビカスは、キャリアとは職業選択の結果ではなく、人生の意味を作り出していく過程であると考えました。そして、人は自分の人生に意味と一貫性を与えるために、人生の出来事を物語として構成していると考えました。この立場では、キャリアとは職業の積み重ねではなく、自己物語の構成過程として理解されます。
このように考えると、キャリアの転機において人が悩む理由も理解できます。
人は転職するかどうか、仕事を続けるかどうかで悩んでいるように見えますが、実際には「これまでの自分の物語」と「これからの自分の物語」をどのようにつなげるかという問題に直面しています。
これまでの自分の生き方と、これからの自分の生き方との間に物語としての連続性を見いだせなくなったとき、人は強い迷いを感じます。今までの生き方に疑問を感じたり、今の仕事や環境の先にある未来を不安に思ったりもします。
ナラティブ・アイデンティティの観点では、キャリアの振り返りとは、過去の出来事を整理することではなく、「自分はどのような物語を生きてきた人間なのか」を理解する過程です。そして、これからのキャリアを考えるとは、「これからどのような物語を生きていくのか」を考えることでもあります。









