
「自分探し」という言葉があります。
青年期には「自分探し」というテーマの中で活発に自己探求が行われます。
体当たりで自分に向き合い、自分とはなにかを社会に問いかけるときかもしれません。
このとき社会からも自分のあり方を問われます。
また、青年期以降にも、将来のキャリアに迷ったときや、仕事に意味を見いだせなくなったとき、「どこかにいるはずの本当の自分を見つけたい」と思うのではないでしょうか。
自分とはいったい何者で、どこへ向かっていく存在なのでしょうか。
「自分探し」と「自分なくし」
確固たる自分とはどこにあるのでしょうか。
筆者は若い頃、留学やバックパックで世界を旅することに明け暮れていました。今、その経験をどう感じているかというと、率直に「無駄だった」と感じることがあります。
こんなことを言ってしまうと夢見る若者に申し訳ない気がしますが、私はそう感じます。
仕事に活かされるような経験ではありませんでした。
私はその経験の「意味」を、今でも考え続けています。意味がなかったのではないかと思うことさえあります。
ただし、「必要だった」とも感じています。必要だったということは、少しは意味を見出すことができそうな気がする。そんなふうに考えようとしているのかもしれません。
結論を言ってしまえば、海外に求めた「本当の自分」は見つかりませんでした。むしろ、行動を重ねるごとにその行動に目的がないことに気づき、「目的なく行動している自分」と向き合うことになります。
それは自分探しというよりは、
「自分がない自分」を見つける「自分なくし」の体験だったと感じています。
自分には「確固たる自分がない」そのことに気づくことはできました。そういった意味で、「無駄だった」という思いと、「必要だった」という思いが同居しているわけです。
きっと世界のどこかに自分という存在を理解してくれる場所があり、そこには今の自分にはないすばらしい自分が待っているとそう信じていたわけです。
その神話が崩れ去るというのは、若い人にとっては絶望的な体験です。
大人になった今でも、その神話をどこかで信じている自分がいます。
もちろん、今は急に日本を飛び出して漠然たる世界にすばらしい自分を見出そうとは考えません。
しかし、日常生活のいたる場面において、ことさら仕事場面においては何度も思うことがあります。
それは、「本当の自分とは何者なのだろう」という疑問です。
この疑問には、
「自分に向いている仕事はなんだろうか」
「本当に今の仕事を続けていいのだろうか」
といった仕事についての文脈が多く含まれています。
キャリア選択は「学習の結果」である

「自分に向いている仕事」「本当の自分」といった考え方には、どこかに完成された自己があり、それを見つければ人生がはっきりするというイメージがあります。
キャリアに悩む人の多くはその答えを求めているのではないでしょうか。
しかし、実際の人生は、そのように明確に決まっているわけではありません。
生まれながらに確固たる自分を築いているように見えるロックスターでさえも、本当の自分のあり方に悩んでいるかもしれません。
心理学者ジョン・クランボルツは、キャリアの選択は「適性の発見」ではなく「学習の結果」であると説明しました。人は経験を通して、自分の興味や能力、得意なことや苦手なことを学んでいきます。
例えば、ある仕事に興味を持つようになるのは、その分野に触れる機会があったからかもしれません。逆に、自分には向いていないと思っていたことでも、経験を重ねることで得意になることもあります。
つまり、自分というものは最初から完成しているのではなく、経験を通して少しずつ変化していくものなわけです。今、自分はこういう存在だと理解していても、半年一年と時間が経つ中で、変わっていくのではないでしょうか。
自分をなくしていくということの本当の意味は、これまで自分たらしめてきたもの=「自分らしさ」を新たに捉え直し、社会からの問いに答える。その連続です。
それはどこかに「発見されるもの」でなく、
「学ばれ、構成されるもの」です。
人は最初から自分に合った仕事を理解しているわけではありません。
幼少期には野球選手になりたかった人が、経験を通して学び、失敗から意味を見出し、偶然をきっかけに選択肢を広げながら、自分なりのキャリアを形づくっていきます。結果として、今はパティシエになっているかもしれません。
偶然が人生をつくる
クランボルツは後に「計画された偶発性」という考え方を提唱しました。これは、人生において偶然の出来事が大きな意味を持つという考え方です。
多くの人が振り返ると、「あの出会いがきっかけだった」「あの経験が人生を変えた」という出来事を思い出します。思いがけない仕事の機会、偶然の人との出会い、予想していなかった経験などが、人生の方向を大きく変えることがあります。
キャリアは必ずしも計画通りに進むわけではありません。
むしろ偶然の経験の積み重ねの中で、新しい可能性が見えてくることが多いわけです。
クランボルツは、将来を完全に決めようとするよりも、新しい経験に開かれていることが重要だと考えました。好奇心を持ち、さまざまな経験を積み重ねることが、結果としてキャリアの可能性を広げることにつながります。
多様な社会の中で出会う「いくつもの自分」

自分探しに悩んでいる方に朗報があります。
それは、今の時代には「さまざまな自分」で生きることができるということです。
現代社会では、働き方や生き方の選択肢が大きく広がっています。一つの職業だけで人生を過ごす人もいれば、転職を重ねる人もいます。仕事と趣味を両立する人もいれば、複数の役割を持つ人もいます。
このような社会では、「唯一の自分」を見つけることよりも、「さまざまな自分」を受け入れることが重要になります。
人は一つの役割だけで生きているわけではありません。仕事の中の自分、家庭の中の自分、友人関係の中の自分など、さまざまな場面で異なる自分を持っています。また、内面的にはもっと複雑怪奇な自分がいます。
仕事の中の自分でさえ、陽気な自分、悩ましい自分、優柔不断な自分、大胆な自分がその場その場に存在します。それは多重人格ということではなく、人は社会から影響を受けて変化する生き物であるからです。その時々で考え方が変わることがあります。
それが人間の自然な姿とも言えます。
心理学の視点から見ると、自分とは確固たる存在ではなく、経験を通して変化していく存在です。人は新しい経験を重ねることで、自分の興味や価値観を学び、社会の中での役割を見出していきます。
その意味では、「自分探し」とはどこかにある答えを見つけることではありません。これに焦りや不安を感じる必要もありません。
経験を通して少しずつ変化する「今の自分」を理解することが大切です。
将来の自分は、まだ決まっていません。
だからこそ、経験と学習の中で、常に新しい自分との出会いが待っているのではないでしょうか。











